<Zwei Kukens A.D.2298> 一部紹介




 その部屋の中は、いつも真っ白だった。床も、壁も、天井も、全てが白で統一されており、それはまるで、この部屋で行われていることの潔白性を、無理やりに主張しているかのようでもある。
 白い世界の中、アレルヤはいつものように、大人たちの指示に従っておとなしく直立していた。アレルヤに着せられた服もまた、靴の先に至るまで真っ白だ。隣には、これも白い服を着た大人が一人いて、そして更にその隣には、アレルヤの身長ほどもある大きな機械が置かれている。機械からはたくさんのコードが伸びており、そのコードの先端を、白い服の大人がアレルヤの体へ取り付けているところだ。
 腕や脚には薬品が塗り込められ、その上からコードについた吸盤が押し当てられる。ひやりとした感触に身震いする間もなく、今度は吸盤の上からゴム製の帯が巻きつけられ、そして最後は、頭の上に大きなヘッドギアが被せられる。そのヘッドギアからもコードが延びており、傍らの機械に繋がっていた。
 いつもの光景、いつもの手順。
 毎日毎日、自分が大人たちに何をされているのか、アレルヤには少しも分からない。ただ、この部屋に来ると、決まって後から頭が痛くなるということだけは、今までの経験から分かっている。そして、大人たちの言うことを聞いておとなしくしていないと、この身の保障はないのだということも。
 アレルヤは、つい数週間前のことを思い出す。
 アレルヤの独居房の隣にいた少年、「58番」と呼ばれていた彼は、ある日突然に奇声を上げて室内で暴れた為、大人たちに引っ張られてどこかへ連れて行かれてしまった。彼が壁を叩いたり蹴ったりする音は、そして意味不明な言葉を叫んだりする声は、アレルヤの部屋の壁を震わせ、また同時に、アレルヤ自身の心をも震わせた。自分に危害が加えられるかもしれない、ということが恐ろしかったのではない。いつ自分もああ なるのか分からない、ということが恐ろしかったのだ。
 「58番」の少年がどうなったのか、アレルヤは知らない。彼は大人たちに連れて行かれ、そして、あの部屋に戻ってはこなかった。
「被験体E−57、血圧、脈拍、共に異常なし」
 マイク越しの声が部屋に響いたので、アレルヤは僅かに視線を上げる。部屋の中には、アレルヤの他に誰もいない。先ほどまでアレルヤの頭や手足に機械を取り付けていた大人も、いつの間にかどこかへと姿を消してしまっている。これもいつものことだ。マイクの声がどこから聞こえてくるのか、声の主が一体どこにいるのか、それもアレルヤには分からない。
「これより、脳量子波への伝導を開始する」
 主の不確かな声がそう告げると同時に、アレルヤの傍らにある機械が、ぶうんと唸り始める。
「右眼窩前頭野への伝導、レベル1、オールグリーン」
 マイクの声が終わらないうちに、右目の奥がちりちりと疼き出した。アレルヤは軽く息を詰め、その感覚に耐える。まるで、見えない針で眼球を裏側からそっと突付かれているような、そんな疼痛。時折、アレルヤの意思に反して、右側の頬がびくりと震えた。作業は更に続いてゆく。
「レベル2、オールグリーン」
 疼痛の度合いがひどくなった。まるでそこに心臓があるかのように、右目の周辺が大きく鼓動し始める。皮膚の表面を血管が波打ち、その速さと比例して、頭の右側全体が強い痛みを訴え出す。
 こんなことがいつまで続くのか、これから自分はどうなってゆくのか、そんなことはアレルヤにも分かるはずはない。ただ少なくとも、今日のこの「ジッケン」が終わればビリーに会える。
 ビリーに会って、彼の話を聞き、彼のあたたかさに包まれる。アレルヤにとってそれは、何にも代えがたい大きな楽しみだ。ビリーの手が頭を撫でてくれる時だけは、自分が「被験体E−57」であることを忘れることができる。自分が血の通った人間なのだということを、思い出すことができる。だから、がんばって我慢して――
 ――『……の、…だな』
 頭の中に、じわり、響く声。
 アレルヤは何度か瞬いた。近頃、「ジッケン」の時によく聞こえてくる声だ。
 ――『おまえ、…し…んの…』
 それは決して不快なものではない。けれども。
 痛い。痛い。頭が、いたい。あたま、が。いたくて。いたくてたまらない。
「E−57、脈拍数上昇」
 無機的に響く、マイクの音声。アレルヤはぎゅっと目を瞑った。開いた口からは、浅い呼吸が漏れる。
「レベル3。脳量子波への伝導速度を上げるぞ」
「筋収縮度を計測」
「グリア細胞の肥大度、126%」
 いたい。あたまが、いたくて、われそうで。あたまのなか、が、ぐるぐると、まわって、いて。いて。でも、あばれると、おとなたちが、おとなたち、が。つれて、いかれ。いかれ。いたい。いたい。いたい。あたまが――。




































 はっきりと聞こえた、その声は。
「きみは……誰…?」
 小さく呟いたのを最後に、「アレルヤ」の意識は暗転した。
 

(続)

 

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